平安時代

(西暦794〜1192年)

桓武天皇による平安京遷都(794年)から源頼朝が征夷大将軍に就任し、鎌倉幕府を開く(1192年)までの約400年間を指す時代区分。
桓武天皇が794年に都を平安京に遷し、蝦夷征服を中断してからは国力を傾ける大事業はなくなった。
はじめは天皇が政治の実権を握っていたが藤原氏が力を伸ばしてきて摂関政治を行い、11世紀末には上皇が院政を 行った。地方では荘園が全国に広がって、荘園と国衙領が混在する荘園公領制が出現した。

平安時代後半は武士が台頭し、末期には中央の政争に関与、12世紀末に平氏政権を生んだ。








平安京遷都から9世紀末頃までの文化。
嵯峨天皇・清和天皇の時の年号からとって、弘仁・貞観文化と呼ばれる。

この時代は、文章経国がはかられ(文芸を中心とした国家の隆盛をめざす)、文人貴族が登用される事もあった。その貴族達は平安京で都市貴族化が進む一方、文化的には唐文化を摂取して宮廷では漢文学が発展した。

漢詩文をみずからのものとし習熟した表現つくられるようになり、嵯峨天皇や小野篁、都良香(みやこのよしか)、菅原道真などがその優れた作者として知られている。
この時代が文学史において「国風暗黒時代」と称されるほどだった。

最澄や空海によって伝えられた新しい仏教、天台宗・真言宗が広まり、その影響を受けて密教が盛んになった。
また、その盛行に伴って密教芸術が新たに発展した。
  • 建築⇒寺院は山間部に建てられ、伽藍配置の密教寺院や檜皮葺(ひわだぶき)の屋根
  • 彫刻⇒木像が主で、一木造り(いちぼくづくり)の仏像が多い。
    また、神仏習合を反映して神像彫刻が盛んになった。
  • 絵画⇒曼荼羅が発達した。
  • 書道⇒唐風文化の隆盛に応じて唐風の書(唐様/からよう)が広まった。
    嵯峨天皇・空海・橘逸勢は能書家として知られ、三筆(さんぴつ)と呼ばれた。



摂関政治の時期、10〜11世紀頃の文化。藤原文化ともいう。

遣唐使が廃止された(894年)この時代にも民間の商人らによって大陸からの文物が輸入され、それらは「唐物(からもの)」として尊重された。
しかし、弘仁・貞観文化と比べ、この時代は唐文化の吸収、消化が侵攻された。そして日本在来の文化と融合して、その後の日本文化に大きな影響を与えていく思想・美術・文学・風俗などが主に貴族層によって生み出された。

中国の文学である漢字を用いて日本語を表現しようとする努力は、漢字の受容直後から始まった。 はじめは地名や人名など固有名詞を漢字の音を用いて表記する試みがなされ、奈良時代には漢字の音訓を用いて和歌などを表わす万葉仮名が発達した。

平安時代になると万葉仮名の字体がくずされ草書体(=草仮名)さらに簡略化されてひらがなが成立した。主に宮廷女性によって書状や歌のやり取りに用いられた。

カタカナは、僧侶が漢文で書かれた経典などを訓読するときに考案したもの。

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制作日:2005年3月25日 製作者:朝明
更新日:2005年3月25日

 

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