小倉百人一首
おぐらひゃくにんいっしゅ









『百人一首』とは、もともと有名な百人の歌人の歌を一人一首ずつとったもののことを言う。

藤原定家が『小倉山荘色紙和歌(おぐらさんそうしきしわか)』と称する『百人一首』を選んだのが最初。この時『百人一首』とは普通名詞的なものだった。後、この百人一首に規範を求めたり戯作化したりして作られたもの(=『異色百人一首』)があらわれてきた。これらと区別するために、 また小倉山で作られたことから「小倉百人一首」と呼ばれるようになった。

南北朝時代頃からは、『百人一首』というと定家がつくった『小倉百人一首』のことを指すようになった。


藤原定家(1162−1241)が撰んだ。定家は、京都嵯峨の小倉山の麓に別荘を持っていたが、定家の親族で宇都宮地方の大名をしていた頼網入道が同じく小倉山山麓に別荘を建て、その襖の障子に和歌の色紙を貼ろうとして、その揮毫を定家に頼んできたので、撰んで書いたというのがこの百人一首となったといわれている。

選定された和歌は、定家好みの華やかなものが多く、100首中43首が恋に関する歌であるのもその特徴といえる。

定家が八代集(古今,後撰,拾遺,後拾遺,金葉,詞花,千載,新古今)から歌を選んでまとめた『二四代集(にしだいしゅう)』という歌集と『小倉百人一首』は、92首が重複している。そのことから、『小倉百人一首』は『二四代集』を中心に他の8首が加えられてつくられたといわれている。小倉百人一首の原型といわれる『百人秀歌』は計101首が載せられていて、そのうち97首が『小倉百人一首』一致している。定家の日記『明月記』によると1235年年(嘉禎元)5月27日が『百人秀歌』の成立の日とされている。

写真は定家の別荘でもあり百人一首誕生の地、
時雨亭の跡(京都・嵯峨)







百人一首は、当時の歌集からさらに歌を選んでを収められている。

右のグラフは出典別の歌の数を集別したもの。()内の数字は首数。

古今集からは24首と大変多い。


百人一首の歌は、テーマごとに分類されている(=部立という)。その分類は原拠の歌集の分類に基づいている。

恋の歌が43首と大変多い。


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制作日:2005年2月13日 製作者:朝明
更新日:2005年4月15日

 

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