三善清行
(みよしきよゆき)








847〜918(12月7日、72歳)

平安中期の漢学者。別名善相公。みよしきよつら、とも読む。

巨勢文雄に師事し、対大内記となり、 肥後介・備中介・刑部大輔・文章博士・大学頭・式部大輔など諸官を経て参議宮内卿となる。正義感に溢れた経世家で権威に屈せず、 そのために官位が停滞したといわれる。

詩は紀長谷雄と併称されるほど。
914年に提出した「意見封十二箇条」は当時の政治の欠陥を指摘し、 その救済の方法を述べた大論文として名高い。
陰陽天文の道に明るく、901年には改元を勧める「辛酉革命議」「革命勘文」などの奏文もある。
怪異神仙を信じ、怪異説話集「善家秘記」を著しているが、現存しておらず転載された為一部が残っている。









文人官僚として、三善清行は菅原道真の後輩にあたる。

清行は官吏登用試験に一度落ちたが、そのときの試験官は道真だった。
以後清行は、道真とことあるごとに対立し、道真を退けた延喜政権の下で栄達を上げた。
900年の10月11日に清行は道真に辞職を勧めるが道真は翌年左遷される。

道真が怨霊となって都を襲い藤原時平を呪い殺したはなしは有名であるが、そのとき時平から道真の怨霊を取り除く為に加持祈祷をしていたのが、清行の子で僧の浄蔵であった。清行は、浄蔵が加持祈祷を行っているさなか、時平を見舞った。ところが、時平の耳から龍の姿をした道真の怨霊が出てきて加持祈祷を止めさせるように迫った。
清行が息子にやめさせると、時平の病態は急変し命が絶えてしまったという。(『扶桑略記』)


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制作日:2005年3月4日 製作者:朝明
更新日:2005年3月8日

 

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