長屋王の変 (西暦729年) |
729年(神亀6)2月、左大臣として不比等亡き後の藤原氏に対抗する勢力をなしていた長屋王(天武天皇の孫)が、呪詛(左道(さどう)とよばれる陰陽道の呪術)を行い国家を傾けようと謀ったとの密告があった。
光明子を皇后とすることに反対したことなどから藤原氏が嘘の密告をしたとされている。 |
この変の半年後には光明立后が実現し、皇族以外から皇后が選ばれるという異例の事態が出現するとともに、藤原武智麻呂以下の藤原4兄弟がともに昇進して天平初期の政界を主導することとなった。 また、この変を境に皇族から藤原氏へと権力の主導権が移った。 |
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