年表 其の参

陰陽道に関係する平安時代・晴明没後日本史の年表。

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西暦 和暦 陰陽道史関連 出典
1007 寛弘4 紫式部『源氏物語』 
→宿曜師のことを「宿曜のかしこき道の人」と記述している。
又、近年『源氏物語』 の構成や人物が宿曜経(宿曜占術)に由来するともいわれている。(大妻女子大学・大久保建治教授の説)
===
1009 寛弘6 1月、中宮彰子・敦成親王・藤原道長を呪詛した事件が起こる。関係した複数の民間陰陽師の中に僧、道満の名がある。 ===
1010 寛弘7 宿曜道が独自の暦算を始める。この頃、陰陽道(寮)の暦道が衰退。 ===
1013 長和2 賀茂光栄、右京権大夫。 ===
1015 長和4 6月7日、賀茂光栄 没。(77歳・従四位下・暦博士) ===
1016 長和5 藤原道長、摂政となる ===
今昔物語集』(1016年ごろ。成立は定かではない)
●安倍吉平、従四位下に(陰陽師としては異例・その後従四
 位上にまで進む)
1025 万寿2 8月、陰陽師中原恒盛が、藤原嬉子がなくなった際に  
1026 万寿3 12月18日、安倍吉平 没 ===
1030 長元3 賀茂守道 没。(45歳)  ===
1038 長暦2 暦博士・賀茂道平が製作した暦、誤りを指摘される。  ===
1048 永承3 大宰府が宋暦と新羅暦を献上。  ===
1059 康平2 ●暦道と宿曜道の間に、月食の計算についての論争がある。 ===
●この頃より、仮名暦が作られ始める。 
1066 治暦2 賀茂家栄 生 ===
1110 天永1 この頃、安倍泰親 生。
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1127 大治2 陰陽寮が消失し、渾天図・漏刻等が焼失する。 ===
1129 大治4 ●現存する最古の仮名暦が作成される。 ===
●暦博士と大法師・源算が、月の大小について論争をする。
1136 保延2 8月12日、賀茂家栄 没。(71歳) ===
1142 康治1 『五行大義』(天文鈔本)が藤原頼長の許にあったとの記録あり。 ===
1144 天養1 三善朝臣が『五行大義』(天文鈔本)を書写。安倍家所蔵本によって加点する。 ===
1149 久安5 陰陽頭・賀茂憲栄と陰陽博士・安倍泰親との間で論争起きる。 本朝世紀
1155 久寿2 『五行大義』(天文鈔本)を秘本も以って校比し、安倍家門外不出の秘本となる。 ===
1156 保元1 『五行大義』(天文鈔本)が安倍泰弘によって書き改められる。 ===
1166 仁安1 安倍泰親、『陰陽頭安倍泰親朝臣記』を著。 ===
1167 仁安2 平清盛、太政大臣となる。→平氏全盛時代へ。 ===
1169 嘉応1 安倍泰親、九条兼実に対し安倍氏の他流を批判 玉葉
1174 承安4 安倍泰親宅に落雷

玉葉・百錬抄

1179 治承3 平清盛が後白河上皇を幽閉する。
→この事件の一週間前(11月7日戌の刻)に地震があり、それを占った安倍泰親が、異変の前兆であることを内裏に警告している。
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1181 治承5 5月29日、安倍晴光が藤原兼実のもとに安倍家に秘蔵されていた『五行大義』を持って来る。(兼実はこの時右大臣) 玉葉
1182 寿元1 安倍泰親、陰陽頭大膳権大夫となる。 ===
1183 寿元2 この頃、安倍泰親 没。 ===
1185 文治1 壇ノ浦の合戦で平氏滅亡。 ===
1189 文治5 源義経、衣川の戦いで戦死。 ===

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制作日:2004年8月25日 製作者:朝明
更新日:2004年12月21日
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