桜・花見について |
桜 に つ い て |
桜とは |
日本の国花。 穀霊が宿る花と信じられていた。 満開の桜は秋の収穫の豊かさを告げるものと考えられていた。 暦がなく、季節感もあいまいだった大昔には、桜の花が満開になると農事を開始する合図になった。
田の神は普段は山に住んでいるが、田植えの時期になると人里に下りて来ると信じられていた。満開の桜はその前兆現象になった。
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写真(上・右)は京都・醍醐寺の桜 醍醐寺では、安土・桃山時代に豊臣秀吉により有名な「醍醐の花見」が催された。この頃から庶民にも身近なものになった。 |
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語源 |
語源については様々な説がある。
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桜 が さ ね |
絹織物が薄いため、紅の衣の上に白い衣をかさねると地の紅色が透けて桜色になる。 表は白、裏は紅色。 桜の装束は貴族達に人気で源氏物語や枕草子などにもたびたび登場している。 |
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日 本 人 と の 関 わ り ・ 花 見 に つ い て |
桜は奈良時代から栽植されたが、当時は田の神が来臨する花として、信仰・占いのために植えられることが多かった。
桜は主に山に咲いていたため、多くの人の目には触れにくかった。 奈良時代になると、美しい花の代表として桜を愛でる習慣が生まれた。万葉集などには桜も出てくるが「花」といえばやはり梅のことを指した。(万葉集は桜41首、梅118首) 野山に咲いている桜を好んで邸宅の庭などに移植し、鑑賞する風潮が生まれてきた。
嵯峨天皇が宮中に桜を植えて歌を詠み、宴を催した(=日本最初の花見)ことから桜の花見が盛んに開催されるようになった。 |
写真は京都 現在でも柳と桜が交互に |
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安土・桃山時代には、醍醐寺で催された豊臣秀吉の「醍醐の花見」が有名。庶民にも身近なものになったのはこの頃からである。 | ||
武士の時代や江戸時代には、桜というと死、というイメージが意識化された。 桜はすぐに散ってしまうからだ。それは潔さにも通じ、武士を象徴する花ともなりまた日本人の美意識となった。 |
制作日:2005年3月19日 製作者:朝明 |
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