陰陽道
(おんみょうどう)

『  一言で言うと日本の道教だ』といわれる。
道教の中の様々の要素のうち、占い、暦、祭り、まじないといったような技術的な面が中心となり、 日本で独自に他の要素が加わり成立した呪術的な宗教体性である。
具体的に言うと、天体の運行や宇宙の動きと人間社会の移り変わりが互いに併行し、関係し合う物であるとする思想で、 天文の変化から万事の吉凶を予知し、その対処を決めるというもので、そこに宗教的哲学な面と、技術的な面がある。
これらの技術を律令政府の中で取り扱っていたのは、中務省の中にある陰陽寮という所であった。
歴 史

成 立

陰陽道は太古に発生した中国の民間信仰でもある。 まず中国の歴史から言うと

夏(カ)王朝では、陰陽道の事を連山(レンザン)、
殷王朝では帰蔵(キゾウ)と呼んでいたが、これらは滅んでしまい今日には伝わっていない。
周王朝 では、連山や帰蔵を体系化してと呼び、『易経』という書物を作った。 これは、太古の神霊の伏義(フクギ)が考え出し、週の文王に至って完成されたものだといわれ、 陰陽道のバイブルとして長く権威をもち、陰陽道は「周易」として知られてきた。
戦国時代末になると、孔子儒教を始めるが、次第に陰陽道を取り入れ“法物生成変化の原動力である陰陽二気を、 地上の聖人と宇宙の主宰者である天帝に対比させ、聖人は天帝の道、すなわち天道を地上に移し、実現させるものとし、 聖人が君主になることによって天下泰平になる” と説いた。
漢王朝になると、陰陽五行説は発達し、複雑になってくる。四季の循環から陰陽二気の相克と交替の関係、 五行相克・相生の関係が導き出されてきた。また月齢の周期が1年に約12回繰り返され、木星の周期が12年であることに ヒントを得、十二支が考え出された。 十干も、植物の各過程を意味する様々な解釈から五行・十二支と結びつき、 十干・十二支の組み合わせが工夫されて歳月・日時・方位に占星術的な価値がつけられた。

陰陽道が大陸から 日本伝わってきたことについての最も古い記録は、『日本書紀』継体天皇7年(513年)7月百済から五経博士段楊爾(ダンヨウジ) が学者人材として献上され、同十年九月、五経博士漢の高安茂と交代したとあるものである。五経には、易経が含まれているので、これは日本の朝廷に正式に易が伝わったことになる。


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このシリーズは分かりやすいですよね。よく参考にさせていただいています。
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