菅原道真
(すがわらのみちざね)






845〜903

歌人・学者・政治家として活躍した平安前期の実在人物。

菅原是善の三男として生まれ、幼少時から学問詩歌の才に優れ、国家試験に合格し博士号を取る。
宇多天皇や醍醐天皇に重用される。
894年には遣唐大使に任命されるが、日本独自の文化を育てる為・唐が衰退してきたことを理由に遣唐使の廃止を訴え、採用される
右大臣にまでのぼりつめるが左大臣藤原時平のざんげん(陰謀でうその証言)により大宰権帥に左遷され、不遇のうちに903年に病死する。

のち、雷神・祟り神として恐れられたが、今では天神として祀られ、学問の神様として親しまれる。

菅家(かんけ・かんか)、菅公(かんこう)ともよばれ、様々な伝説が残される。

 

菅原天満宮(奈良)


束帯天神像

北野天満宮蔵14〜15世紀
彼にとっての正装、つまり「束帯」姿で描かれた道真を「束帯天神」と呼ぶ。
 











菅原家は学者の家柄だった
道真の漢詩文集に『菅家文草(かんかぶんそう)』『菅家後集(かんかこうしゅう)』、編著に史書『類聚国史(るいじゅうこくし)』『日本三代実録』(共同編纂)がある

★和歌

  • 『拾遺和歌集』巻第十六・雑春・1006
    流され侍ける時、家の梅の花を見侍て 贈太政大臣

    東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 
      主なしとて 春を忘れそ


    道真が左遷される事が決まり、自宅で彼の愛した庭の紅梅に別れを惜しんで詠んだ。
    主人のその心に感じた梅の木は、後に大宰府まで飛んでいき、その地で映え匂ったという伝説(飛梅伝説)がある。福岡県の安楽 寺(大宰府天満宮)にある梅の木がそれだといわれる。右の松崎天神縁起絵巻がその様子。

松崎天神縁起絵巻 第二 第2〜4紙
『道真、邸の紅梅に別れを惜しむ』
防府天満宮蔵

 

  • 古今六帖・四・たむけ 新撰和歌集・三
    学者・文人として朱雀院の奈良におはしましける時に手向け山にてよめる古今集・羇旅
    百人一首二十四番

    このたびは ぬさもとりあえず 手向山 
      もみじのにしき 神のまにまに


    宇多上皇にお供をして吉野に出向いた時の歌。
    ☆掛詞
     『このたび』・・「この旅」と「この度」
     『とりあへず』・・「とりあえず」と「十分に用意できず」
     『手向山』・・「手向け道の神に幣を手向けた」と「手向山」
    ☆比喩
     『もみじのにしき』 見立てている。

大宰府
に左遷
され・・・
道真の没後、皇太子の急逝・宮中への落雷・天候不順などが続き、道真の祟りによるものと認識され、最終的に最高位の正一位太政大臣を追贈される。


 年   できごと
845  生まれる。
869  博士号を取得。 26
877  式部少補に任じられ、「文章博士」になる。 33
886  讃岐守として四国に赴任。 42
891  内閣官房長官に任じられる。 47
894  遣唐大使に任命されるが、遣唐使の中止を建議し、採用される。 50
897  権大納言となる。 53
899  菅原道真、右大臣に任じられる 55
901  従ニ位になったあと、左遷される。 57
903  大宰府で死去。 59
905  太宰府に菅原道真の廟が建てられる。
 続いて、道真の菩提を弔う安楽寺が建てられ千手観音が安置された。
没後
909  左大臣の藤原時平死去。 39
(時平)
923  右大臣に復し、正二位を贈られる。 没後
930  清涼殿に落雷、死傷者が出る。3ヵ月後、醍醐天皇死去。 没後
993  正一位、左大臣、太政大臣を贈られる。 没後


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制作日:2005年1月4日 製作者:朝明
更新日:2005年4月30日

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