菅原道真 |
菅 |
845〜903 歌人・学者・政治家として活躍した平安前期の実在人物。 菅原是善の三男として生まれ、幼少時から学問詩歌の才に優れ、国家試験に合格し博士号を取る。 のち、雷神・祟り神として恐れられたが、今では天神として祀られ、学問の神様として親しまれる。
★菅原天満宮(奈良) |
束帯天神像 北野天満宮蔵14〜15世紀 彼にとっての正装、つまり「束帯」姿で描かれた道真を「束帯天神」と呼ぶ。 |
学 |
菅原家は学者の家柄だった 道真の漢詩文集に『菅家文草(かんかぶんそう)』『菅家後集(かんかこうしゅう)』、編著に史書『類聚国史(るいじゅうこくし)』『日本三代実録』(共同編纂)がある ★和歌
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松崎天神縁起絵巻 第二 第2〜4紙
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大宰府 に左遷 され・・・ |
道真の没後、皇太子の急逝・宮中への落雷・天候不順などが続き、道真の祟りによるものと認識され、最終的に最高位の正一位太政大臣を追贈される。 |
年 | できごと | 歳 |
845 | 生まれる。 | 0 |
869 | 博士号を取得。 | 26 |
877 | 式部少補に任じられ、「文章博士」になる。 | 33 |
886 | 讃岐守として四国に赴任。 | 42 |
891 | 内閣官房長官に任じられる。 | 47 |
894 | 遣唐大使に任命されるが、遣唐使の中止を建議し、採用される。 | 50 |
897 | 権大納言となる。 | 53 |
899 | 菅原道真、右大臣に任じられる | 55 |
901 | 従ニ位になったあと、左遷される。 | 57 |
903 | 大宰府で死去。 | 59 |
905 | 太宰府に菅原道真の廟が建てられる。 続いて、道真の菩提を弔う安楽寺が建てられ千手観音が安置された。 |
没後 |
909 | 左大臣の藤原時平死去。 | 39 (時平) |
923 | 右大臣に復し、正二位を贈られる。 | 没後 |
930 | 清涼殿に落雷、死傷者が出る。3ヵ月後、醍醐天皇死去。 | 没後 |
993 | 正一位、左大臣、太政大臣を贈られる。 | 没後 |
制作日:2005年1月4日 製作者:朝明 |
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